臆病な自尊心と尊大な羞恥心とは?実は現代人にも関係あるって知ってた?

2019/04/08
 
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こんにちは。テルクニです。

今回のテーマは「山月記」の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という一節。国語の時間に勉強したという方も多いんじゃないでしょうか。

大人になってから考えてみると、この一節は僕たち現代人の心をそっくりそのまま表しているように感じます。

僕もそうですが、HSP(Highly Senstive Person)と言われる敏感な方たちは特に感じていることではないかなぁと思いますね。

今回はこの言葉の意味について掘り下げて考えていきたいと思います。この記事がおすすめなのは以下のような方です。

  • 大人になっても「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の意味がわからん
  • なんか心に残ってるけど、自分にも関係あるのかな
  • 山月記のテストがヤバイ…対策しないと

そもそも「山月記」ってどんな話?

僕は山月記が大好きで、国語の教科書を読むだけでは飽き足らず自分で文庫本も購入しているレベルなのですが、そもそも山月記ってそこまでメジャーじゃないんですよね…

本題に入る前に簡単におさらいしておきましょう。

  • 主人公の李徴は幼少のころ天才と呼ばれる人物だった。
  • 科挙にも若くして合格した李徴だが、退屈な地方公務員の生活に我慢できない
  • 結局、公務員をやめて詩作の道に入るようになったが、芽は出なかった
  • ある夜、ついに狂った李徴は不思議なことに虎になってしまった
  • そんな李徴の前にかつての友人が現れ、李徴は胸中を吐露するのだった

ザックリというと↑のような話が「山月記」です。李徴はプライドの高さから、詩の道で成功できないことのショックを受け、狂った虎になってしまいました。

その時、たまたま出会ったかつての友人に心境を語るのですが、その中で出てくるのが「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という言葉です。

では、続いてその言葉が登場する場面をみて、どんな意味なのかを吟味してみましょう!

臆病な自尊心と尊大な羞恥心の意味とは

では、臆病な自尊心と尊大な羞恥心が登場する場所を原文で読んでみましょう。

人間であった時、己(おれ)は努めて人との交わりを避けた。人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。

もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとはいわない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍(ご)することもいさぎよしとしなかった。

共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。

に伍することも出来なかった。

己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶(ふんもん)と慙恚(ざんい)とによって益々おのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

(参照:青空文庫「山月記」)

ちょっと言葉が難しいですが、李徴はこのように語っています。これを整理してみると、

  • 尊大な羞恥心=恥ずかしい心、人との交わりを避ける
  • 臆病な自尊心=プライド、友と争って切磋琢磨しようとしない

と言うように表すことができます。

2つの言葉は厳密には切り離すことができないですが、まとめると、以下のようにも表現できますね。

李徴は基本的に自分には自信があるが人と接するのが恥ずかしい(=尊大な羞恥心)。

また、自分になまじ才能があると確信する一方で、もし他の人が自分以上の才能を持っていたら、それを目にしたくない。だからわざわざ人に交わって努力しないことで自分を守っている(=臆病な自尊心)。

そもそも、人間関係がニガテで人と接するのはなんだか恥ずかしいし、人と一緒に何かしていたらプライドも傷つくかもしれない。だから人とは接しない。

というのが李徴のスタンスですが、これは僕たちにも当てはまることが多いのではないでしょうか?

山月記が教えてくれる教訓とは?

僕たちは毎日、ほかの人とかかわって生きています。一番わかりやすいのは学校や職場などでしょうか。

こういった場所ではどうしても個人個人の能力に注目しがちです。

学校ならテストの点数が気になりますし、会社なら営業成績が問われることになります。

アイツには勝てるけど、アイツには叶わない…」といったことは往々にしてありますよね。

そういったとき僕たちは、諦めてしまうか、そういった現実を見ないようにして現実逃避に走りがちです。

「いやいや、俺はまだ本気出してないだけだから」

といった言葉をよく耳にしますが、これは「本気出せば勝てるけど、まだ出してない」と現実を見ずにいる言葉ではないでしょうか。

この「まだ本気出してない」という言葉の心理こそ、まさに李徴が語っている「臆病な自尊心」に他なりません。

また、そもそも人間関係の中で傷つきたくない!という方も多いと思います。

「人間強度が下がるから、友達はいらない」

とうそぶいてみても、根本的には対人関係に不安を抱えている、尊大な羞恥心に他ならないと思います。

李徴はこの2つの心に振り回され、最後は虎と言う化け物になってしまいました。

では、僕たちが李徴のような失敗をしないためにはどのように考えたらいいのでしょうか。

どうすれば化け物にならないか

だれでも大なり小なり「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という2つの心を持っています。これに振り回されないためにはある1つの考え方が有効だと思います。

それは、僕たちは人間であるということ。

…ちょっとこれではわけわからないですよね笑

僕たちはどうやったって人との関係の中で生きている存在です。

ジャングルの奥地で生活するならともかく、生きていく上では人とかかわっていく必要があります。

もちろん、時には傷つき傷つけてしまうこともありますが、人間関係がないと生活自体が成り立たないのです。

また、よきライバルの存在は自分を成長させてくれる糧となります。「アイツには叶わない」「もう現実を見るのはやめよう」と考えるのではなく、「ではどうすれば自分もああなれるか」「他のやり方で勝てないか」を考えるべきです。

このように僕たちは人との間で生き、成長していく「人間」なのです

これを忘れてしまったからこそ、李徴は虎になってしまったのでしょう。人間らしさをわすれないこと。これが大事ではないでしょうか。

もちろん、人によって人間関係の濃さ、対人関係の距離感は違うと思います。これについてはまた別記事で解説したいと思いますが、まずはどんなひとも1人では生きられないという当たり前の事実を忘れないようにしましょう

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